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旧閑谷学校に落書きした犯人は誰?場所や被害状況は?

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岡山県備前市にある国宝、旧閑谷学校講堂の柱や壁に多くの落書きが見つかったという事件がありました!

貴重な建物に落書きなんて許せないですよね!!

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旧閑谷学校とは?

寛文十年(1670年)岡山藩主池田光政が日本で初めての「庶民のための学校」を創ったというとても歴史ある建物です。
そして1701年からほぼ同様の外観を保っていて2015年には「近世日本の教育遺産群」として日本遺産に認定されています

 

寛文 6年 (1666) 岡山藩主池田光政が和気郡木谷村延原を視察した。
寛文 8年 (1668) 池田光政が領内に123か所の手習所を設置した。
寛文10年 (1670) 岡山藩主池田光政が津田永忠に命じ閑谷学校を創立
寛文12年 (1672) 学房・飲室が建てられた。
延宝元年 (1673) 講堂(旧)が完成し、池田光政が視察した。
翌年、聖堂(旧)が完成した。
延宝 3年 (1675) 藩の手習所が廃止され、閑谷に統合された。
貞享元年 (1684) 新聖堂が完成した。
貞享 3年 (1686) 芳烈祠(現在の閑谷神社)完成。初めて釈菜が行われた。
元禄14年 (1701)  現在目にする閑谷学校の全容が整う。
元禄15年 (1702) 御納所・椿山が造られ、光政の髪・爪が納められた。
明治 3年 (1870)  藩政改革により閑谷学校を閉鎖、岡山学校に合併
明治 6年 (1873)  山田方谷の発意により閑谷学校(閑谷精舎)再興
明治17年 (1884)  西薇山らにより閑谷黌(コウ)を再興
明治38年 (1905) 新校舎落成(現資料館)
大正10年 (1921)  県営移管により岡山県閑谷中学校と改称
昭和40年 (1965)  岡山県立和気高等学校を岡山県立和気閑谷高等学校に改称
岡山県青少年教育センター閑谷学校開設
平成 7年 (1995)  資料館開館(明治38 年建築:私立閑谷中学校本館)
平成18年 (2006)  財団法人特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会が指定管理者に指定
平成24年 (2012)  公益財団法人特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会 設立 引用:旧閑谷学校HP

とても歴史ある建物だけに今回の事件は本当に心が痛いですね・・

 

 

 

 

 

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落書きをした犯人像は?

今回落書きされた場所は講堂の柱や壁で、カタカナで「ヒデキ」「マユミ」と書かれていて、更に「ひでお」「ゆうこ」と人の名前が彫ってあったそうです、思い当たるのは修学旅行などで訪れた中学生くらいのカップルが国宝の重要性も知らずにノリで書いてしまうというもの今回国宝ということで大きく取り上げられましたが、木造の建物が落書きによって傷つけられている光景をたまに目にしますね;

出典:旧閑谷学校HP

現在でも学習が行われているこの講堂。やはり学生が多く落書きのレベル的には子供っぽい印象ですね。

 

 

出典:twitter

今回落書きされた文字です!もうはっきりとわかるくらい傷つけられていますね、国宝ということで、削って直すことができないとのことなので
これからずっとこの落書きが残るのはほんとに嫌ですよね~

ちょっとでも削ってほしいなと思うんですが、国宝はそんな訳にはいかないようで、犯人には自分のしてしまったことの重大さに気づいて反省してもらいたいです”””

 

 

こんな幼稚な犯行は中学生くらいの子供ぐらいだろうとしか思えませんが現段階では犯人は見つかっていないので誰が落書きしたのかはまだわかっていません

 

 

今回おこってしまった事はとても残念な出来事です、これからは対策も必要になってくると思いますがどんな建物だって落書きはだめです!
今後同じようなニュースが流れないように

祈っています!

 

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